『笑いを科学する』を読んで①

少し更新が滞ってしまいました(海外旅行に行っておりました)。

今は学校が夏休みなので、頑張ってなるべくたくさん更新していきたいと思います!

さて、今回はある本を読んで学んだことを少し書いてみようと思います。

その本とは、

木村洋二編 (2010)『笑いを科学する:ユーモア・サイエンスへの招待』新曜社.

です。

はい、大学院に行っていた僕はこのタイプの本が大好物なので笑、読んでいてとても楽しいです。

まだ0章と1章しか読んでいないのですが、読んでいて面白かったことを少しまとめてみます。

笑いのメカニズム

  1. ズレる
  2. ハズレる
  3. ヌケる
  4. アフレる

こんな感じだそうです。ものすごい難しい言葉で詳細に書かれていたのですがそこは割愛します(気になる方は読んでみてください)。

また、「ヌケ」「アフレ」の量が大きいとより面白いのだということが書いてありました。

たとえば、

軽く転ぶ<大げさに転ぶ、

普通の人が転ぶ<お偉いさんが転ぶ、

普通の人のスキャンダル<有名人のスキャンダル

のように、右の方がより面白いのは「ヌケ」「アフレ」の量が大きいから

確かにこれは思い当たりますよね。

芸人さんはわざとオーバーにリアクションをするし、平芸人さんよりホトちゃんがずっこけたほうがアメトークでは面白いし笑、有名人のスキャンダルは叩きたくなるし。

面白さには「ヌケ」「アフレ」の量の大きさが関係しているようです。これは前回の投稿でも書いた、「うねり」とも関係してきそうですね

笑いの破壊作用

「ズレ」が起きると、無化されるといったことが書いてありました。

確かに僕(や多くの人)がお笑いに熱中するのは、なんとなく「無」になりたいからというのがあると思います。

お笑いを見ていると、何か他のことを忘れられたりしますよね。笑いによって、僕たちは無化されているようです。

ユーモアは拘束からの解放

0章には、「サルが笑いを身につけて、そこから言葉を手に入れることでヒトになった」ということが書かれていました。

そして、言葉の獲得は自由と与えると同時に、文脈といった制限をもたらした、と。

その制限・拘束からの解放が既知であり、ユーモアであるそうです。

あえてちょっとズレたことをいうとか、ジョークをいったりすると面白く感じるのは、その場の文脈から逸脱する行為だからということです。

それを可能にしてくれるのがユーモアです。だからユーモアのある人といるとなんとなく気楽なのかもしれませんね!

仏教では笑いはいいもの(1章から)

仏像を見ていると、なんとも穏やかな微笑を浮かべているものが多く見られますよね。それは、仏教では笑いがいいものとして受け入れられているからだそうです。

一方、キリスト教の偶像には笑みを浮かべたものがあまりないようです。確かに、西洋の像を見ていて笑顔のものをあまり見たことがないような気が。これは、キリスト教の禁欲主義から来ているようです。

ではなぜ、仏教では笑いがいいものとされているのか。それは、笑いが「無」をもたらすからだそうです。

上に書いたように、笑いに無化作用があるのだとしたら、仏教と相性がいいということですね!

笑うことで一種の解脱、無になれる。ならば仏教では笑いを歓迎しようじゃないかということです。なるほどと思いました!

ちなみに落語のルーツも仏教だと書かれていました。仏教を広めるために、説教臭くならないようにコメディを通じて広めたのが始まりだそうです。

なるほど、授業も堅苦しい説明ばかりだと生徒は寝てしまいますが、ジョークでこちらに注目が集まればやりやすくなりますからね(現役教員の声)。

日本人と笑いの関係について知れて、とても面白かったです!

おわりに

まだこの本を読み終えてはいませんが、とても興味深く、またいろいろなことを学べる素晴らしい本だとわかりました。

M1の採点基準を考える上でも、とても参考になりそうです。

これからも学んだことを共有していくので、楽しみにしていてくださいね^ ^

参考文献

木村洋二 (2010) 「0章 笑いの統一理論」, 木村洋二編 『笑いを科学する:ユーモア・サイエンスへの招待』新曜社, pp. 1-22.

森下伸也 (2010) 「1章 笑いの花咲く国へ:笑いの東西文明論序説」, 木村洋二編 『笑いを科学する:ユーモア・サイエンスへの招待』新曜社, pp. 25-42.

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